雑然と。混交、リンク、伝播、ハイブリッド、情報化!
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先月のことである。2月に無事今年も誕生日を迎えれたこと、また大学院を無事に卒業できたことを合わせて、お祝いをしようではないかという話になった。誕生日は毎年、好きなものを食べるというのが習慣になりつつあるが(しかし単価の高いものが選択された歴史はない)、今年も同じ態で、われわれ彼女と二人「好きなものを食べよう」という話になったら、ほとんどは魚介類がらみ、どちらかというと和食の系統であるから、お安く新鮮な刺身でもあるかしらんと日本橋は黒門市場へと足を運ぶ。
市場といえども卸売りではない。でかい商店街の中に種々の(やはり鮮魚店が多い)の食品店が立ち並んでいるという形で、京都の錦市場なども形態は良く似ている。もっとも、京都・錦は商店街というにはずいぶんお高く留まった、大変品のある場所である。こちら大阪のほうは、お上品さの端っこばかりもなくてガンガン商い中という、天下の台所というのもよく言ったもんだという感じのする、パワフルさがある。ざっとみた感じ、相当安い。スーパーのものより1000倍くらいは新鮮そうで、味のほうも期待が出来そうだ。
メインの通りを何度も行きつ戻りつしておおよその献立を考えつつ、じっくり商店街を歩くというとても気持ちのいい時間。その場で焙煎してくれる珈琲豆屋なんかにも出会えたり。買い込んだものは下にリストを残しておきます。
売っている品々は多種多様で、高級な和牛やトラふぐ、大トロから庶民的な八百屋・果物・多国籍食品と実に幅が広い。下のリストを見てもらえば分かるが、まぐろ関連のものをたくさん買っているのだけど、マグロ専門店がたくさんあって品揃え豊富だし、赤身や切り落としはかなり安価なのでついつい買い込んでしまった。牛や豚のホルモンを食べることはよくあるけど、マグロの各部位だって負けないくらい多様で、美味珍味である。ホホ肉を塩焼きにしてわさびを添えたりすれば臭みも少なくて日本酒に大変よく合う。そうしたものが流通可能なのは鮮度を保てるからであって、各店新鮮なものを提供する努力をしているように見える。
・手作り豆腐、ゆず・絹(2丁で100円だった)
・ぬか漬け四種(きゅうり・なす・人参・白菜)+メロン浅漬け(メロンの浅漬けというのは、まだメロンが小さいうちに本命のデカメロンとなるであろう一玉のために周りのをいくらか間引く、その間引いたやつを漬けてあるとのことで食べられる時期は限られるのだとか)
・わさび菜
・芽ねぎ
・山葵(擦りたてのときの香りはやばいね!しかし、値段と手間を考えると常用はできないんだよなあ)
・つるむらさき
・ちょっといい生姜
・大葉
・苺
・九条ねぎ
・まぐろ赤身の寿司(昼食)
・まぐろすきみ
・まぐろあごの肉
・中トロ切り落とし(さらにすきみをおまけしてもらう)
・まぐろ冷凍ほほ肉・ひれ肉
・まぐろたたき
・活ミル貝
・生ほたるいか
・スモークサーモン
・珈琲豆

こうなったら次は酒、酒である!
市場といえども卸売りではない。でかい商店街の中に種々の(やはり鮮魚店が多い)の食品店が立ち並んでいるという形で、京都の錦市場なども形態は良く似ている。もっとも、京都・錦は商店街というにはずいぶんお高く留まった、大変品のある場所である。こちら大阪のほうは、お上品さの端っこばかりもなくてガンガン商い中という、天下の台所というのもよく言ったもんだという感じのする、パワフルさがある。ざっとみた感じ、相当安い。スーパーのものより1000倍くらいは新鮮そうで、味のほうも期待が出来そうだ。
メインの通りを何度も行きつ戻りつしておおよその献立を考えつつ、じっくり商店街を歩くというとても気持ちのいい時間。その場で焙煎してくれる珈琲豆屋なんかにも出会えたり。買い込んだものは下にリストを残しておきます。
売っている品々は多種多様で、高級な和牛やトラふぐ、大トロから庶民的な八百屋・果物・多国籍食品と実に幅が広い。下のリストを見てもらえば分かるが、まぐろ関連のものをたくさん買っているのだけど、マグロ専門店がたくさんあって品揃え豊富だし、赤身や切り落としはかなり安価なのでついつい買い込んでしまった。牛や豚のホルモンを食べることはよくあるけど、マグロの各部位だって負けないくらい多様で、美味珍味である。ホホ肉を塩焼きにしてわさびを添えたりすれば臭みも少なくて日本酒に大変よく合う。そうしたものが流通可能なのは鮮度を保てるからであって、各店新鮮なものを提供する努力をしているように見える。
・手作り豆腐、ゆず・絹(2丁で100円だった)
・ぬか漬け四種(きゅうり・なす・人参・白菜)+メロン浅漬け(メロンの浅漬けというのは、まだメロンが小さいうちに本命のデカメロンとなるであろう一玉のために周りのをいくらか間引く、その間引いたやつを漬けてあるとのことで食べられる時期は限られるのだとか)
・わさび菜
・芽ねぎ
・山葵(擦りたてのときの香りはやばいね!しかし、値段と手間を考えると常用はできないんだよなあ)
・つるむらさき
・ちょっといい生姜
・大葉
・苺
・九条ねぎ
・まぐろ赤身の寿司(昼食)
・まぐろすきみ
・まぐろあごの肉
・中トロ切り落とし(さらにすきみをおまけしてもらう)
・まぐろ冷凍ほほ肉・ひれ肉
・まぐろたたき
・活ミル貝
・生ほたるいか
・スモークサーモン
・珈琲豆
こうなったら次は酒、酒である!
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先日ふらりと思い立って新世界を歩いてきた。通天閣の周囲は観光地化しているけれど、まだまだ混沌とした雰囲気が残っている。西成~天下茶屋のほうまで足を伸ばせば、あたりに漂う空気はどんどんと濃くなっていくだろう。日本にこういう場所があって、今に至るまでたくさん消えて、東京あたりではよほど選んで行かなければ触れ合うことも無い、そうした混沌の姿を、ほんの少しだけ肌身に感じられる。大阪はこんなものを抱えているのかという気分も、もちろんする。1500円の安宿。放浪する人。混沌は窒息しそうになりながら、ぎりぎり息づいている。テレビやコンビニからは、混沌を掻き消すような整然とした情報が街に垂れ流されていく。
日本人は、というととても語弊があるのだけど、ぼくらは、日本をあまり歩いたりはしないのかもしれない。余暇を海外で過ごす人は多い。日本人の平均労働時間は欧米先進諸国のそれと比べてずいぶん多く、「日本人は働きすぎ」説は神話ではない。それを国民性とだけ言うのは僕は好まないけど、働くために都市部に、東京に人が流れ込み、すごくたくさん働いて、明日から働くために休み、家族がなんとかそれを下支えするというのは嘘ではないだろう。たくさん働くために、東京にたくさんの人が集まる。余暇が少ないから各地をのんびりと旅をすることは難しく、大型連休はずいぶん長い間、車に乗る。でなきゃ海外。
そうして生まれる疲弊を、憂慮したいのでも皮肉りたいのでもない。あまりに一箇所に人が集まりすぎたために地方が空洞化し、メタボリックになった東京に、閃光のように走った衝撃、地震。大阪の混沌を歩くと、これから考えなければいけない計画停電や、経済の復興を、東京とそれ以外の土地とのパワーバランスのことが、頭をよぎる。原発の話を聞くと、日本では、たくさん働くためにインフラを整備して原発を作ったのが、働いて成長してきた経済を今度はその原発が壊しかねないという、そんな状況なのかと考えてしまう。
福島とその近辺は風評被害を恐れているという。いま恐れるべきはそんなことじゃないよなあと思ったりもする。なにより大切なのは、人体に影響がでるくらいの放射線が頒布しているなら、まず安全な場所にまでかの地の人たちが逃げられるようにするべきで、ほんとのところ、放射線、大丈夫なのかなあという気持ちがある。駄目なのなら、早く言って欲しい、いち早く当地の人たちが逃げることが出来るよう、他府県で体制を整えなければいけないと思ってしまう。風評被害よりもとにかく実害を避けることが大事なのに、どうも政府の発表を聞く限りでは、基準値が上下したりの、専門家の言うこともあまりクリアに聞こえてこなかったりの、困る、怖い。誰かが危険に晒されなければいけないかもしれない、この国で、家もコンビニもパチンコ屋も政党政治もGDPもあるこの国で誰かが放射線による被害にあわなければならないとしたら、それが僕は怖い、辛い、そう思ったりする。
一方でこうも考えられる。あまりに情報を素で出したりなんかして混乱してしまうと、収拾が付かなくなる。そうなれば経済や復興の観点から大いに支障が出るし、パニックになって様々なものが機能しにくくなればそちらのほうが嫌な結果を迎える、そう考えてもいいのかもしれない、もしくはそう考えられているのかもしれない。かもしれない。そんなことはよくわからないんだきっと。原発の詳細なんかぽんぽんメディアで発表してしまえば、テロリストや悪意ある隣人にそうした情報を悪用されかねん!とか言って、全く、その通りかもしれないし。ただちに健康被害がなくても、がんにならなくても、なんとなく70歳で体調が悪くなって、72歳で死んだ僕が、実は内部被爆していなかったら73歳まで生きれたってこともあるかもしれない。知らないよね、そんなこと。
地震が起きてからこのかた、個人的にたった一つだけ民主党に大変に感謝していることがある。彼らの統率力があまりにもお粗末なために、国民が「総動員になって」とか「今こそみんなで力を合わせて」とか機能しなくって、ナショナリズム、いつかきな臭くなる「かもしれない」あのナショナリズムがだんぜん強さを見せていないような気がする。米国みたいに個人主義の行き届いた国じゃないから、一度連帯や愛国が力を持てば根強く残るかもしれない、とか思うけど、今回はそうじゃないっぽい。僕がすごく苦手にしているものであるのでそれが発生しないならば嬉しい。かもしれないっぽいがたくさん。
放射線被爆は明確でそこそこの程度の被爆者が出ない限り報道されたり放射線が危険だと断定されたりしないんだろうか。もしくはそうした人が仮にいたとしても多くの人が知ることのないように工夫されているんだろうか。それは困る。ある教授が言っていた。「原子力のような強力巨大な科学は、そもそも絶対安全と言えるレベルじゃないと使用したらいけない。絶対安全、というのはむしろ最低限必要なこと、あたりまえのこと。そのように裏打ちされたものを、それでも万一に備えてさらに万全の準備を施すのが、原子力のようなものを使用するときに必要とされるものだ。しかし、彼らは「絶対安全」と人々に説いていくうち、自ら自己催眠のように本当に「絶対安全」だと思っちゃった。だから、予備電源だか復旧システムだか、津波が来たらすぐ流されるのがわかっているような場所に据付けられていたりなんかして、非常に備えたシステムがまるで機能しないような事態が起こるのだ、と。そしてもちろん、「絶対安全」だと思うのは、「絶対勝てる」と思っていたあの戦争と相似する、国民を鼓舞するために絶対勝てるといい続けていた人たちが、本当に勝てると思い込んだあのときと、イメージが重なりもする」のだと。(うろ覚えだし、僕の言葉で書いているので、文責はその教授にはありません、念のため)
なるほどと思う。驚くことである。それでは、原発安全神話という虚像が壊れた今は、敗戦後と重ねられるのだろうか。僕は敗戦で構わない、勝利が必要だと思わないから。敗戦だったら敗戦だったで、あれから復興したように、またみんな元気でやり直して、しかも地震以前よりうまいことやればいい。余暇があって地方が元気で地方の温泉地が栄えて僕の生まれ育った伊勢志摩にもたくさん人がくればいい。東北は日本で一番暮らしやすい場所になって欲しい。
今は色んなところで色んな人が喋っていて、情報は錯綜して、本当のこと、真実というがなにか分からない・ありもしないという中で言葉を使って、発信して混乱するし迷惑だし、マスコミも同じようなニュースばっかやって一つにまとめたらちょっとは資源が儲かるんじゃないのとか、考えられないわけじゃないけども、まあいいんじゃないのと思う。みんな物わかりがよくって専門家以外黙ってて、マスコミが洗練された動きと報道しかしなかったら、気持ち悪いかなあという気がするから。そうなったらきっとへんなイデオロギーを感じずには、テレビを見たりtwitter見たり出来ないだろうから。利権まみれのACってのもまあ、気分は良くないんだけども。
自粛自粛というのはなんか気持ち悪くて、むしろ企業のほうが活動を自粛したら節電も出来て、とかもあるけど、そうするとパワーゲームという側面が前面化して中小企業から順番に潰れていかもしれず、そうなってはまた困るからそれもどうなんだと思う。
それから、高校野球を見ていて、応援しているチアの女の子が涙をたたえたような目で、祈るようにしているのをみると、どうしても被災地への祈りがそこにあるのではないかと一瞬頭をよぎってしまう、別にそれがどうしたというわけでもないんだけど。
僕なんか家族も全く被災していないし、テレビ見てネット見て知ってる人と知らない人の心配してるばっかりで、募金もいくらだったか忘れるくらいしかしていないけど、要するに僕も結構ストレス溜まって疲れているなあ、ということらしい。日を追って地震について考えたくなくなってくるから余計考えてしまう上に、ひと考えふた疲れという風にダメージがでかくなっていってんの。こうして長文書かずにはいられないわけだし。んもう、ゲームでもしに行くっか。
日本人は、というととても語弊があるのだけど、ぼくらは、日本をあまり歩いたりはしないのかもしれない。余暇を海外で過ごす人は多い。日本人の平均労働時間は欧米先進諸国のそれと比べてずいぶん多く、「日本人は働きすぎ」説は神話ではない。それを国民性とだけ言うのは僕は好まないけど、働くために都市部に、東京に人が流れ込み、すごくたくさん働いて、明日から働くために休み、家族がなんとかそれを下支えするというのは嘘ではないだろう。たくさん働くために、東京にたくさんの人が集まる。余暇が少ないから各地をのんびりと旅をすることは難しく、大型連休はずいぶん長い間、車に乗る。でなきゃ海外。
そうして生まれる疲弊を、憂慮したいのでも皮肉りたいのでもない。あまりに一箇所に人が集まりすぎたために地方が空洞化し、メタボリックになった東京に、閃光のように走った衝撃、地震。大阪の混沌を歩くと、これから考えなければいけない計画停電や、経済の復興を、東京とそれ以外の土地とのパワーバランスのことが、頭をよぎる。原発の話を聞くと、日本では、たくさん働くためにインフラを整備して原発を作ったのが、働いて成長してきた経済を今度はその原発が壊しかねないという、そんな状況なのかと考えてしまう。
福島とその近辺は風評被害を恐れているという。いま恐れるべきはそんなことじゃないよなあと思ったりもする。なにより大切なのは、人体に影響がでるくらいの放射線が頒布しているなら、まず安全な場所にまでかの地の人たちが逃げられるようにするべきで、ほんとのところ、放射線、大丈夫なのかなあという気持ちがある。駄目なのなら、早く言って欲しい、いち早く当地の人たちが逃げることが出来るよう、他府県で体制を整えなければいけないと思ってしまう。風評被害よりもとにかく実害を避けることが大事なのに、どうも政府の発表を聞く限りでは、基準値が上下したりの、専門家の言うこともあまりクリアに聞こえてこなかったりの、困る、怖い。誰かが危険に晒されなければいけないかもしれない、この国で、家もコンビニもパチンコ屋も政党政治もGDPもあるこの国で誰かが放射線による被害にあわなければならないとしたら、それが僕は怖い、辛い、そう思ったりする。
一方でこうも考えられる。あまりに情報を素で出したりなんかして混乱してしまうと、収拾が付かなくなる。そうなれば経済や復興の観点から大いに支障が出るし、パニックになって様々なものが機能しにくくなればそちらのほうが嫌な結果を迎える、そう考えてもいいのかもしれない、もしくはそう考えられているのかもしれない。かもしれない。そんなことはよくわからないんだきっと。原発の詳細なんかぽんぽんメディアで発表してしまえば、テロリストや悪意ある隣人にそうした情報を悪用されかねん!とか言って、全く、その通りかもしれないし。ただちに健康被害がなくても、がんにならなくても、なんとなく70歳で体調が悪くなって、72歳で死んだ僕が、実は内部被爆していなかったら73歳まで生きれたってこともあるかもしれない。知らないよね、そんなこと。
地震が起きてからこのかた、個人的にたった一つだけ民主党に大変に感謝していることがある。彼らの統率力があまりにもお粗末なために、国民が「総動員になって」とか「今こそみんなで力を合わせて」とか機能しなくって、ナショナリズム、いつかきな臭くなる「かもしれない」あのナショナリズムがだんぜん強さを見せていないような気がする。米国みたいに個人主義の行き届いた国じゃないから、一度連帯や愛国が力を持てば根強く残るかもしれない、とか思うけど、今回はそうじゃないっぽい。僕がすごく苦手にしているものであるのでそれが発生しないならば嬉しい。かもしれないっぽいがたくさん。
放射線被爆は明確でそこそこの程度の被爆者が出ない限り報道されたり放射線が危険だと断定されたりしないんだろうか。もしくはそうした人が仮にいたとしても多くの人が知ることのないように工夫されているんだろうか。それは困る。ある教授が言っていた。「原子力のような強力巨大な科学は、そもそも絶対安全と言えるレベルじゃないと使用したらいけない。絶対安全、というのはむしろ最低限必要なこと、あたりまえのこと。そのように裏打ちされたものを、それでも万一に備えてさらに万全の準備を施すのが、原子力のようなものを使用するときに必要とされるものだ。しかし、彼らは「絶対安全」と人々に説いていくうち、自ら自己催眠のように本当に「絶対安全」だと思っちゃった。だから、予備電源だか復旧システムだか、津波が来たらすぐ流されるのがわかっているような場所に据付けられていたりなんかして、非常に備えたシステムがまるで機能しないような事態が起こるのだ、と。そしてもちろん、「絶対安全」だと思うのは、「絶対勝てる」と思っていたあの戦争と相似する、国民を鼓舞するために絶対勝てるといい続けていた人たちが、本当に勝てると思い込んだあのときと、イメージが重なりもする」のだと。(うろ覚えだし、僕の言葉で書いているので、文責はその教授にはありません、念のため)
なるほどと思う。驚くことである。それでは、原発安全神話という虚像が壊れた今は、敗戦後と重ねられるのだろうか。僕は敗戦で構わない、勝利が必要だと思わないから。敗戦だったら敗戦だったで、あれから復興したように、またみんな元気でやり直して、しかも地震以前よりうまいことやればいい。余暇があって地方が元気で地方の温泉地が栄えて僕の生まれ育った伊勢志摩にもたくさん人がくればいい。東北は日本で一番暮らしやすい場所になって欲しい。
今は色んなところで色んな人が喋っていて、情報は錯綜して、本当のこと、真実というがなにか分からない・ありもしないという中で言葉を使って、発信して混乱するし迷惑だし、マスコミも同じようなニュースばっかやって一つにまとめたらちょっとは資源が儲かるんじゃないのとか、考えられないわけじゃないけども、まあいいんじゃないのと思う。みんな物わかりがよくって専門家以外黙ってて、マスコミが洗練された動きと報道しかしなかったら、気持ち悪いかなあという気がするから。そうなったらきっとへんなイデオロギーを感じずには、テレビを見たりtwitter見たり出来ないだろうから。利権まみれのACってのもまあ、気分は良くないんだけども。
自粛自粛というのはなんか気持ち悪くて、むしろ企業のほうが活動を自粛したら節電も出来て、とかもあるけど、そうするとパワーゲームという側面が前面化して中小企業から順番に潰れていかもしれず、そうなってはまた困るからそれもどうなんだと思う。
それから、高校野球を見ていて、応援しているチアの女の子が涙をたたえたような目で、祈るようにしているのをみると、どうしても被災地への祈りがそこにあるのではないかと一瞬頭をよぎってしまう、別にそれがどうしたというわけでもないんだけど。
僕なんか家族も全く被災していないし、テレビ見てネット見て知ってる人と知らない人の心配してるばっかりで、募金もいくらだったか忘れるくらいしかしていないけど、要するに僕も結構ストレス溜まって疲れているなあ、ということらしい。日を追って地震について考えたくなくなってくるから余計考えてしまう上に、ひと考えふた疲れという風にダメージがでかくなっていってんの。こうして長文書かずにはいられないわけだし。んもう、ゲームでもしに行くっか。
少々メモ的に、行きたい店や歩きたい場所などを記しておこうかと思う。生活萌え、生活は萌え要素。
・天満「大安」
大阪は天満、「大衆居酒屋の聖地」と呼ばれる場所で、昼からいくつもの店先で、顔を赤らめたおっちゃんの話し声をきくことができる場所である。東京と大阪を比べれば、後者のほうがより簡単に格安(でうまい)飲み屋を見つけられる印象があるが、大衆居酒屋密集地帯という括りであれば、まず天満が名乗りを上げる(らしい。わたくし、まだまだ大阪を歩き足りない。ゆっくりと日をかけて彷徨したい)。「天満酒蔵」という有名なお店があるが、料理も飲み物もとかく安くて、なんでもそこそこ美味しくいただける。生ものだって新鮮で、圧倒的なコストパフォーマンスを誇る。ビール大ビン350円など、1000円あれば酔える類の店である。
立ち飲みや大衆居酒屋の雰囲気を知らない人は、こんな感じを参考にしてもらえばよいだろうか。
そんな天満という地にある「大安」は、似たような大衆立ち飲み屋でありながら、生の「ギネス」が出るという。それを聞いて、一瞬くらくらと眩暈がした。私の大好きなもの、それも3000年時が経っても邂逅しそうにない大衆居酒屋とギネスの2つが、すでに融合してかの地にあるのだという。いかねばなるまい!固く拳を握った、夜である。
・バーニャカウダ
チーズフォンデュのように野菜などをアツアツのソースにつけて食べるらしいこの「バーニャカウダ」という料理だが、そのソースというのが、オリーブオイル+すりにんにく+アンチョビetc・・・という、魅惑のイタリアン。うまくないはずがない。もとい、にんにく大好き!ぜひ近いうちに、試してみたい一品である。
・伊賀市「金谷」
私の生まれ故郷・三重は松阪牛が名産として名高く、なかでも名声あり歴史ありとというのがたびたびメディアでも紹介されている「和田金」という肉料理屋である。しかしなかなか「いい」値段のする店であり、三重県民にとって「高級なものを食べる」という代名詞にもなりがちである。もちろん、味も最高、とのことだ。
そんな和田金を尻目に、あるときふと小耳に挟んだのが、伊賀市にある「金谷」というこちらも高級系の肉料理屋である。しかし、件の「和田金」よりかはいくらかリーズナブルで、味は勝るとも劣らないとも。人生一度は「大変いい肉」というのを食べておきたいもので、それほど肉好きではない私もこうした店の味比べは一度やってみたいものだ。美味い不味いより、もはや体験として、だなあ。
・日本橋「牛正」
日本橋駅の何番出口だかを地上にあがってすぐのところにある雑居ビル、その入り口部分に大変に興をそそる文句の書かれた看板がある。「珍味 生肉料理」とあり、その横に平仮名で「いのしし しか くま きじ」としてある。むぅ。どうやらきじやら熊などを刺身や鍋でいただく料理店らしい。鼻から湯気がでるほど興奮して、見つけたその日に熊の肝でも食わんという意気込みであったが、我慢して帰宅のちggってみると、なかなか気合を入れなければいけないレベルのお値段である。しかしこれは、いつか大事を成し遂げたときに行くお店として、大事に気持ちにしまってあるのである。
・本町「瓦町ブラン」
いつも立ち飲みとか大衆居酒屋に目をくばり足をむけて生きていると、ちょっと西洋風のお店というのには縁が遠くなってしまって大変よくないのであるけど、たまにはイタリア料理でも食べたいねえ、と思って調べてみる。なにせ「ギネス」が好きなものだから、磯くさい刺身や親父くさい焼き物(決して、否定しているのではありません!)ばかり追い求めるのでは、好きなものは形式的には「半分」しか満たされていないことになる。そこで見つけたのが「瓦町ブラン」というお店。「河原町」や「電気ブラン」を想像させずにはいないこの名のお店、webサイトで見ると、リーズナブルなことはもちろん嬉しいが、「大衆」伊太利亜料理店という体がいい。かしこまった食事スタイルや繊細な味というものに日ごろ縁遠く、単にそれらを毛嫌いしているわけではないが、にんにくをどっさり使ったり「ガツガツっ」とした肉料理などがどうしても馴染んでしまう。海外の食事なのに「大衆」というのが肝心要の、強い魅力である。
今回はここまで。
・天満「大安」
大阪は天満、「大衆居酒屋の聖地」と呼ばれる場所で、昼からいくつもの店先で、顔を赤らめたおっちゃんの話し声をきくことができる場所である。東京と大阪を比べれば、後者のほうがより簡単に格安(でうまい)飲み屋を見つけられる印象があるが、大衆居酒屋密集地帯という括りであれば、まず天満が名乗りを上げる(らしい。わたくし、まだまだ大阪を歩き足りない。ゆっくりと日をかけて彷徨したい)。「天満酒蔵」という有名なお店があるが、料理も飲み物もとかく安くて、なんでもそこそこ美味しくいただける。生ものだって新鮮で、圧倒的なコストパフォーマンスを誇る。ビール大ビン350円など、1000円あれば酔える類の店である。
立ち飲みや大衆居酒屋の雰囲気を知らない人は、こんな感じを参考にしてもらえばよいだろうか。
そんな天満という地にある「大安」は、似たような大衆立ち飲み屋でありながら、生の「ギネス」が出るという。それを聞いて、一瞬くらくらと眩暈がした。私の大好きなもの、それも3000年時が経っても邂逅しそうにない大衆居酒屋とギネスの2つが、すでに融合してかの地にあるのだという。いかねばなるまい!固く拳を握った、夜である。
・バーニャカウダ
チーズフォンデュのように野菜などをアツアツのソースにつけて食べるらしいこの「バーニャカウダ」という料理だが、そのソースというのが、オリーブオイル+すりにんにく+アンチョビetc・・・という、魅惑のイタリアン。うまくないはずがない。もとい、にんにく大好き!ぜひ近いうちに、試してみたい一品である。
・伊賀市「金谷」
私の生まれ故郷・三重は松阪牛が名産として名高く、なかでも名声あり歴史ありとというのがたびたびメディアでも紹介されている「和田金」という肉料理屋である。しかしなかなか「いい」値段のする店であり、三重県民にとって「高級なものを食べる」という代名詞にもなりがちである。もちろん、味も最高、とのことだ。
そんな和田金を尻目に、あるときふと小耳に挟んだのが、伊賀市にある「金谷」というこちらも高級系の肉料理屋である。しかし、件の「和田金」よりかはいくらかリーズナブルで、味は勝るとも劣らないとも。人生一度は「大変いい肉」というのを食べておきたいもので、それほど肉好きではない私もこうした店の味比べは一度やってみたいものだ。美味い不味いより、もはや体験として、だなあ。
・日本橋「牛正」
日本橋駅の何番出口だかを地上にあがってすぐのところにある雑居ビル、その入り口部分に大変に興をそそる文句の書かれた看板がある。「珍味 生肉料理」とあり、その横に平仮名で「いのしし しか くま きじ」としてある。むぅ。どうやらきじやら熊などを刺身や鍋でいただく料理店らしい。鼻から湯気がでるほど興奮して、見つけたその日に熊の肝でも食わんという意気込みであったが、我慢して帰宅のちggってみると、なかなか気合を入れなければいけないレベルのお値段である。しかしこれは、いつか大事を成し遂げたときに行くお店として、大事に気持ちにしまってあるのである。
・本町「瓦町ブラン」
いつも立ち飲みとか大衆居酒屋に目をくばり足をむけて生きていると、ちょっと西洋風のお店というのには縁が遠くなってしまって大変よくないのであるけど、たまにはイタリア料理でも食べたいねえ、と思って調べてみる。なにせ「ギネス」が好きなものだから、磯くさい刺身や親父くさい焼き物(決して、否定しているのではありません!)ばかり追い求めるのでは、好きなものは形式的には「半分」しか満たされていないことになる。そこで見つけたのが「瓦町ブラン」というお店。「河原町」や「電気ブラン」を想像させずにはいないこの名のお店、webサイトで見ると、リーズナブルなことはもちろん嬉しいが、「大衆」伊太利亜料理店という体がいい。かしこまった食事スタイルや繊細な味というものに日ごろ縁遠く、単にそれらを毛嫌いしているわけではないが、にんにくをどっさり使ったり「ガツガツっ」とした肉料理などがどうしても馴染んでしまう。海外の食事なのに「大衆」というのが肝心要の、強い魅力である。
今回はここまで。
最近いちだんと、寝具のことが気になっている。もとは睡眠時無呼吸症候群により眠りを妨げられていることを知り、それからあの手この手と安眠できることを夢にみてあれやこれやと探しているのだ。寝ながら寝ることを考えているのである。
昨年、「じぶん枕」というのを購入した。自分の頭の形に従って、オーダーメイドで枕を作ってもらい、何度でも中材の交換や調整などが無料で可能という代物である。これが、ひとまず「劇的に」といってよいほど、効果のあるものだった。というより、それまで試したどんな方法でも睡眠の質が上がったとは感じられなかったのだが、「じぶん枕」を使用すると明らかに抵抗が少なく入眠できるのである。さらに、「まくら」というものが、使っているうちにすぐに変形してしまうものであることにも気づいた。枕の中身はだいたい綿だったりそばがらだったりするわけだが、そうしたものは湿気や頭の重みで日々変形していくのである。すれば、同質の快適な睡眠が継続的に得られるとは考えにくい。僕みたいに日ごろ姿勢の悪さや骨格の問題で眠りについて悩みがある人はいわずもがな、僕の彼女が枕を換えたことによって10年来の目のクマがなくなった例のように、意外な効果があるかもしれないので多くの人に枕のオーダーメイドは勧められるものだと思う。
ついで、マットレスや布団にも介入の余地ありと見、新調を検討している。いま最も気にしているのは、西川寝具の「整圧敷き布団」というマットレスで、寝具店で寝っころがってみたらわけのわからないくらい気持ちがいい。少々寝が張るが、睡眠の質の良し悪しは日々の自分に直結するので、これで少しでも健やかに日常を送れるのであれば、イチ早く購入したいものである。
また、布団に関して、僕は睡眠中に全ての布団をベッド下に蹴って捨ててしまい、朝方薄い毛布一枚で寒がる、ということを毎夜繰り返すので、それならばいっそ寝袋で寝てしまえばいいのでは、という案が持ち上がる。アウトドアブランドが登山者のために世に送り出す渾身のシュラフは、保温力が高く通気性にも優れ、下手な布団よりも安いので大いに検討の価値がある。なんでも、伸縮性に優れ寝袋内であぐらをかけるようなものまであるというから、灼熱沸騰大興奮であろう。
また、夜着にも注目している。ナイトウェアといえばシルクのパジャマやガウンなどであるけれど、僕にはちっとも似合いそうにないので、夜着ということだ。かいまきというやつである。調べてみるとちゃんと西川などで販売していて、だんだん西川がすごくいい会社に思えてくるから不思議なものである。軽くて保温力に優れた、つまるところウniqloのスウェットより高性能なものがあればいいという程度のことなのだけれども。夜着も買ってみたいと思う。
生活萌えである。日常という枠組みそのものがたまらなく好きである。
昨年、「じぶん枕」というのを購入した。自分の頭の形に従って、オーダーメイドで枕を作ってもらい、何度でも中材の交換や調整などが無料で可能という代物である。これが、ひとまず「劇的に」といってよいほど、効果のあるものだった。というより、それまで試したどんな方法でも睡眠の質が上がったとは感じられなかったのだが、「じぶん枕」を使用すると明らかに抵抗が少なく入眠できるのである。さらに、「まくら」というものが、使っているうちにすぐに変形してしまうものであることにも気づいた。枕の中身はだいたい綿だったりそばがらだったりするわけだが、そうしたものは湿気や頭の重みで日々変形していくのである。すれば、同質の快適な睡眠が継続的に得られるとは考えにくい。僕みたいに日ごろ姿勢の悪さや骨格の問題で眠りについて悩みがある人はいわずもがな、僕の彼女が枕を換えたことによって10年来の目のクマがなくなった例のように、意外な効果があるかもしれないので多くの人に枕のオーダーメイドは勧められるものだと思う。
ついで、マットレスや布団にも介入の余地ありと見、新調を検討している。いま最も気にしているのは、西川寝具の「整圧敷き布団」というマットレスで、寝具店で寝っころがってみたらわけのわからないくらい気持ちがいい。少々寝が張るが、睡眠の質の良し悪しは日々の自分に直結するので、これで少しでも健やかに日常を送れるのであれば、イチ早く購入したいものである。
また、布団に関して、僕は睡眠中に全ての布団をベッド下に蹴って捨ててしまい、朝方薄い毛布一枚で寒がる、ということを毎夜繰り返すので、それならばいっそ寝袋で寝てしまえばいいのでは、という案が持ち上がる。アウトドアブランドが登山者のために世に送り出す渾身のシュラフは、保温力が高く通気性にも優れ、下手な布団よりも安いので大いに検討の価値がある。なんでも、伸縮性に優れ寝袋内であぐらをかけるようなものまであるというから、灼熱沸騰大興奮であろう。
また、夜着にも注目している。ナイトウェアといえばシルクのパジャマやガウンなどであるけれど、僕にはちっとも似合いそうにないので、夜着ということだ。かいまきというやつである。調べてみるとちゃんと西川などで販売していて、だんだん西川がすごくいい会社に思えてくるから不思議なものである。軽くて保温力に優れた、つまるところウniqloのスウェットより高性能なものがあればいいという程度のことなのだけれども。夜着も買ってみたいと思う。
生活萌えである。日常という枠組みそのものがたまらなく好きである。
まず、亡くなられた方へのご冥福をお祈りいたしますとともに、被災地の一日でも早い復興と、できるだけ多くの方のご無事を願っております。
あまりにも巨大な出来事が一瞬のうちに発生したわけで、恐怖感とともに、自然や生きることや暮らすことへのなんとも言えない感情が自分の中で渦巻いています。瞬く間に剥奪されること、そこにあったはずの数多くの日常が次の瞬間にまるで予測もしていないものに変わること、またはこの世ではないところに(一度に大勢の人が)連れて行かれることなど、自分の(もしくは人の)想像力の拙さは常々意識はしていますが、あまりに驚いてしまうことで、悲しみや怖さが背中から剥がれない。
僕はなんのかんので日本が好き、というのではないけれど、風景や場所や路地などが好きで、田舎にぽつねんと立つ一軒屋の囲炉裏で、土瓶で酒を温めて飲むという情景なんかが好きで、例えばそうしたものが一瞬で流れてしまうということの発生、それがすごく怖く悲しく感じてしまうというのがあります。それはアイルランドのパブでも台湾の屋台でもいい。土地と生活、そういったものを見る味わうことが好きで、その破綻はとても怖いです。好き嫌いの問題で言えば、逆に血やイデオロギーと言ったものは好きではなく、よって地=血という感覚も馴染まず、粋や誇りは自分に注射して他人を煽るものでなければいい、と感じていたりもします。ぶっちゃけて言えば家族という機構が好きではなく、極端な感じ方をしているのかもしれません。中上健次が苦手なのも、だからだと思います。子どもや赤さんは存在がとても好きです。
大地震に接したことにより日々いろいろなことが頭を巡りますが(阪神淡路のときはそうなるにはあまりに幼すぎた)、あるときある場所で正しい情報が時と場所を変えれば誤解を生むものになったり、遠く離れた人のことを心配することの難しさや、信じることや行動することの(への)障害というものを目の当たりにして、勉強になったり混乱しています。
原発の被害も少なくてすめばいいなあ。
気が早いですが、夏あたりに可能な状態になっていれば東北へ旅行しようかなと考えたりもします。それから、東北地方に関連する企業の株を、お金がないのでほんの少しですが、買おうかとも考えています。たくさんの金額を寄付することは難しいですが、株を買うという形が僕にとってはいくらか壁の低い震災援助への参加の仕方でもあります。
それから、少し防災用品も購入し用意し始めています。懐中電灯や電池など、少しだけ買っています。それは、もし近くまた大きな地震がこちらであったとき、自分の身を守ることができれば、わずかでも救助の必要がなくなり全体の負担が軽減されるからです。「全体」という言葉は好きではありません。物資の正常な需給の妨げにならないよう、手っ取り早く言えば無駄な買い占め行為に加担せぬよう、備蓄もしておかなければと思っています。実家から米を送ってもらいました。(←他力本願)
実家は海辺の小さな町・・・村にあり、津波が来れば今回ほど大規模なものでなくとも全壊の恐れが多分にあり、つまりは家族の生命も存分に危険な状態に晒されることは簡単に予見できるので、実家のほうではいま防災について真摯に考を深めるとともに、眠入りの悪くなる日々をすごしているようで、僕も心配しています(家は東海地方某所にあり、東海地方に大きな地震があれば間違いなく被災してしまいます)。
ブログや日記の類を書くというのも重労働に感じられる一週間が過ぎましたが、今後も状況の変化に注視しつつ、生活というものを感じて生きたいと思います。
追記:いま過去の記事を見返したら9日に地震に関連する話を記している。符号が一致する、ぶるりとする気持ち悪さ。
あまりにも巨大な出来事が一瞬のうちに発生したわけで、恐怖感とともに、自然や生きることや暮らすことへのなんとも言えない感情が自分の中で渦巻いています。瞬く間に剥奪されること、そこにあったはずの数多くの日常が次の瞬間にまるで予測もしていないものに変わること、またはこの世ではないところに(一度に大勢の人が)連れて行かれることなど、自分の(もしくは人の)想像力の拙さは常々意識はしていますが、あまりに驚いてしまうことで、悲しみや怖さが背中から剥がれない。
僕はなんのかんので日本が好き、というのではないけれど、風景や場所や路地などが好きで、田舎にぽつねんと立つ一軒屋の囲炉裏で、土瓶で酒を温めて飲むという情景なんかが好きで、例えばそうしたものが一瞬で流れてしまうということの発生、それがすごく怖く悲しく感じてしまうというのがあります。それはアイルランドのパブでも台湾の屋台でもいい。土地と生活、そういったものを見る味わうことが好きで、その破綻はとても怖いです。好き嫌いの問題で言えば、逆に血やイデオロギーと言ったものは好きではなく、よって地=血という感覚も馴染まず、粋や誇りは自分に注射して他人を煽るものでなければいい、と感じていたりもします。ぶっちゃけて言えば家族という機構が好きではなく、極端な感じ方をしているのかもしれません。中上健次が苦手なのも、だからだと思います。子どもや赤さんは存在がとても好きです。
大地震に接したことにより日々いろいろなことが頭を巡りますが(阪神淡路のときはそうなるにはあまりに幼すぎた)、あるときある場所で正しい情報が時と場所を変えれば誤解を生むものになったり、遠く離れた人のことを心配することの難しさや、信じることや行動することの(への)障害というものを目の当たりにして、勉強になったり混乱しています。
原発の被害も少なくてすめばいいなあ。
気が早いですが、夏あたりに可能な状態になっていれば東北へ旅行しようかなと考えたりもします。それから、東北地方に関連する企業の株を、お金がないのでほんの少しですが、買おうかとも考えています。たくさんの金額を寄付することは難しいですが、株を買うという形が僕にとってはいくらか壁の低い震災援助への参加の仕方でもあります。
それから、少し防災用品も購入し用意し始めています。懐中電灯や電池など、少しだけ買っています。それは、もし近くまた大きな地震がこちらであったとき、自分の身を守ることができれば、わずかでも救助の必要がなくなり全体の負担が軽減されるからです。「全体」という言葉は好きではありません。物資の正常な需給の妨げにならないよう、手っ取り早く言えば無駄な買い占め行為に加担せぬよう、備蓄もしておかなければと思っています。実家から米を送ってもらいました。(←他力本願)
実家は海辺の小さな町・・・村にあり、津波が来れば今回ほど大規模なものでなくとも全壊の恐れが多分にあり、つまりは家族の生命も存分に危険な状態に晒されることは簡単に予見できるので、実家のほうではいま防災について真摯に考を深めるとともに、眠入りの悪くなる日々をすごしているようで、僕も心配しています(家は東海地方某所にあり、東海地方に大きな地震があれば間違いなく被災してしまいます)。
ブログや日記の類を書くというのも重労働に感じられる一週間が過ぎましたが、今後も状況の変化に注視しつつ、生活というものを感じて生きたいと思います。
追記:いま過去の記事を見返したら9日に地震に関連する話を記している。符号が一致する、ぶるりとする気持ち悪さ。
